泉五十四郎先生が旅立たれました
僕が20代前半より関わらせていただいた日本ジャズダンス芸術協会関西がご縁でお世話になった泉五十四郎先生が11月16日に永眠されました。
若い頃、常識のなかった僕は諸先生方からよくお叱りを受けていました。
その度に五十四郎先生は側に来てくれ、どうして怒られたのか、こういう時どうすればよいかなど優しくアドバイスをくださいました。
宅原先生についていくため、苦渋の決断でジャズ教を離れる決断をしたときもやりたいようにやったらええでと送り出していただき、その後も五十四郎先生からお仕事をいただいたりしました。
が、1度宅原先生から離れてた事をきっかけにその後27年はお会い出来ず。
今年の夏にやはりお世話になった小澤周三先生のお別れ会に呼んでいただいた際、本当に久々に再会することが出来ました。(小澤周三先生には足を向けて寝れないくらいお世話になりました。酒もしっかり教わりました。)
周三先生がもう一度繋げてくれたのかもしれません。
久々の再会にかなり緊張しましたがまさかの柔らかい笑顔で迎えていただけました。
そして周三先生を一緒に偲ばせていただけました。
体調がすぐれない中、一緒に呑ませていただき、周三先生を偲び、その後お酒も進み、宅原先生、金子先生の思い出話も聞かせていただきました。
もちろん五十四郎先生とご一緒させていただいた当時のお仕事のお話はふんだんに。
先生はこれからの若者たちの未来を大変心配されていました。
「吉野ちゃんらがちゃんとやったってな。って吉野ちゃんはちゃんとやっていけてるんか?大丈夫なんか?」
と。
もうその言葉が温かいすぎてその時は全てが大丈夫に思えました。
五十四郎先生の帰り際にもまた会おうなと力強い握手をしてくださいました。
それが先生との最後の会話でした。
先生からいただいた心の財産を胸にもう少し頑張っていきたいと思います。
写真は小澤周三先生のお別れ会で五十四郎先生が帰られる際の2ショット。
お宝写真になってしまいました。
泉五十四郎先生、ゆっくりお休みください。
またいつかタイムステップ一緒にやりましょう!
献杯
吉野寧浩